母が末期がんで死に葬儀を出したが安楽死は選べなかった。

母が末期がんで死んだのはもうかれこれ20年も前

日本では、安楽死は認められませんが、がんの激しい痛みを

亡くなった母の形見

すでに手遅れだった母の末期がん

母が末期がんで死んだのは、もうかれこれ20年も前になりますが、痛みに顔を歪めている姿が今でも脳裏に残っています。母は元々、体が弱い方で、よく風邪をひき、頭痛は頻繁にあったようでした。がんが発見されたのは、体がだるく食欲もなく腹痛もあったので、町の医者に行き、そこで大きな病院を紹介され精密検査の結果、胃がんが発見されたのです。

しかも、もう手遅れだという診断が出て、はたから見ると、そんなに弱っているようには見えなかったのですが、本人は家族に心配させまいと、懸命に体調の悪さをこらえていたのかもしれません。手術をすれば、少しは余命が伸びると主治医に諭され、手術をし1か月半くらいで、自宅に帰り、自宅療養という形をとりましたが、いよいよ駄目で、再度病院に入院し、息を引き取りました。

主治医も末期がんで、もう長くないから自宅へ帰したようで、病院へ戻ってくることは十分承知していたようでした。今思えば、がんとわかった時には、すでに手遅れだったのなら、痛い手術などせずに、そのままいかしてやればよかった気がします。最後に余りにも痛がれば、鎮静剤を打って眠ったまま安楽死のようにしてやれば良かったと後悔しています。日本では、安楽死は認められませんが、がんの激しい痛みを少しでも和らげ、眠りながら死んでいく方が幸せだという気がするのです。

さいたま市大宮聖苑でできる事。

痩せ細った母の葬儀

遺体は、痩せ細り、元々、小柄だったのに、がんで体重は20キロにも満たないくらいになってしまい、骸骨に皮をかぶっている有様でした。葬儀は町の葬儀場で行いましたが、大勢の人が駆けつけてくれて、40歳半ばで死んだ母を慈しんでくれました。自分は母の長男にあたりますが、気が動転していたのか、葬儀の記憶は部分的にしか覚えていません。式場からあふれて立っていた人が、ずいぶんいたのを覚えているくらいです。

葬儀は故人の家族にとっては、とてもあわただしいもので、もう少し放っておいてもらって、悲しみに浸りたかったのを思い出します。